ミュンヘン

小学校6年生の時にとある出来事があった。



それは札幌選抜で行った、ミュンヘン遠征。


ミュンヘンと札幌は姉妹都市で、
その遠征には8年に1回くらいの周期で札幌選抜が行っていた遠征。

そして、僕たちの代が運よくその年にぶつかった。

家族で小学校2年生の時にハワイに連れて行ってもらった時以来の、海外。





その遠征に至るまで遡ると、

初めは、100人くらいいた札幌選抜候補の中から、3年くらいかけてどんどん絞られていった。




人見知りだった僕は、週一回のその練習に行くのも気持ちは乗らなかった。


毎回プレーをスタッフにチェックされ、先週までいた仲間が、今週にはいなくなっている事もあった。

泣いている子もいた。


今も思えば、常に競争しあい、評価され、生き残っていく。

人を妬み、羨み、自分自身を信じれなくなる人や、その親も、なぜうちの子が。。。
と、悔しい思いをした人が何人もいるだろう。

僕たちは小学生の時からそんな世界で生きてきた。









そんな中、徐々に絞られていった選手たちの中で、高め合い、上手くなっていく自分を実感しながら、

だんだん札幌選抜での活動が楽しく、そして札幌の代表として戦う責任感も、子供ながらに芽生えてきていた。




最終的に18人に絞られたメンバーでミュンヘンに遠征に行くことになる。。













そこで、色んな方たちの協力がありながら、
ミュンヘンでの時間が進んでいく。







ドイツ料理を食べ、文化に触れ、全てが新鮮に映り、刺激的な毎日。




観光ではBMWの本社見学に行ったり、小学生には贅沢過ぎるくらいの所へ連れて行ってもらった。




あとは、試合観戦や現地のチームと対戦したり、合同練習したりした。










多分練習試合はほとんど勝ったはず。




ただ最後に対戦した、1860ミュンヘンのジュニアチームだけ強かった。












そこで僕にとっては忘れられない、ある出来事が起きる。











対戦を終え、最後に札幌選抜と1860ミュンヘンの子供達が、ごちゃ混ぜになって、ゲームをした時のこと。











相手の10番がめちゃくちゃ上手かった。
対戦してる時から思っていた。
10番がとにかく上手い。

年代的には1個下だったはず。


僕は上手い選手がいると、すぐに憧れを持ち、観察する癖が昔からあった。



そして、ごちゃ混ぜのゲームで、その10番と同じチームに。














その10番とプレーした時の感覚が今でも忘れられない。











2人のパス交換の感覚に衝撃が走る。


よく言う言葉だが、本当にボール1つで繋がれた瞬間だった。



居て欲しいポジションに居てくれて、出して欲しいタイミングでパスが来る。




今まで会ったこともない、プレーしたこともない、ドイツ人の10番とのコンビプレーにゾワゾワした。



しかも言葉は全く通じない。


ボール1つあるだけ。






僕は興奮して試合中に話しかけた。





遠征前に予習した、ドイツ語での自己紹介。


「僕の名前は古田寛幸です!」
「あなたの名前は何ですか?」


彼は
「僕の名前はモアゲッツ!!」
「よろしくね!」

と言った。


試合が終わったあとも仲良くなり、身振り手振りでコミュニケーションを取ろうとした。

人見知りでほとんど自分から話しかけてこなかった自分が、言葉が通じないモアゲッツ相手に必死に伝えようとした。

人間、必死になれば伝わるものである。



憧れのモアゲッツと仲良くなり、プレゼント交換で僕は迷いもなくモアゲッツと交換した。


そしてもう会えないであろう、モアゲッツ含め、交流を図った仲間たちと別れを告げ、
ミュンヘン遠征は幕を閉じた。



ちなみにこの時もしっかりモアゲッツの隣で肩を組んでいる。














それから約13年の時を経て、
最近ドイツ遠征の時にお世話になった方たちに会って話す機会があった。

色々な思い出話に花を咲かしていた頃、
僕はモアゲッツの事を思い出した。

今まで事あるごとにあの時のことを思い出してはいたが、何となくモアゲッツが今どこで何しているのか気になり、調べてみることに。









すると、モアゲッツはプロ選手としてプレーしていた。
しかもかなり期待の若手で、1860ミュンヘンからドルトムントへ。


しかもしかも、よく見ると、名前は
「モリッツ(笑)」

小学6年生の子供のリスニングはこんなもんである。

経歴を見ても、絶対「モリッツ」が、あの時の「モアゲッツ」だ!
と思いめちゃくちゃ興奮した。

確かに上手かったがここまでの選手になっていると思わなかった。








今から13年も前のことだが、あの時の経験が今の自分の土台となっているし、あの頃くらいからサッカー選手を意識した。

そしてあのモアゲッツとのプレーの感覚が忘れられなくて、海外でのプレーをずっと夢見ていた。




言葉が通じなくてもボール1つで繋がれるあの感覚。
コミュニケーションも取ろうと思えばどうとでもなる。

日本人は特に、外国人に対して、かなりのコンプレックスがある。
これは日本の文化的に仕方がないことだが。







そんな昔の思い出が蘇って、あの時の興奮を13年越しに思い出した。




そして、俺もモアゲッツに負けじと頑張ろうと思った。





古田寛幸

Hiroyuki Furuta

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